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書評

エマニュエル・レヴィナス著(R.ビュルグヒュラーヴ編)

『貨幣の哲学』法政大学出版局2003.8.刊行

『東洋経済』2003.10.18. 96

橋本努

 

 

リトアニア生まれのユダヤ人哲学者レヴィナスの近著は、編者ビュルグヒュラーヴ氏の企画による貨幣論の拾遺。本書の中心的主張はすべて小論「社会性と貨幣」に凝縮されており、残りの部分は、このわずか訳文にして十頁の論文をめぐる解説、伝記、対談、講演などからなっている。その内容を簡単に紹介してみると、次のようになるだろう。

 レヴィナスはまず、素朴で健康な人間というものが、自分の実存に愛着をもち、周囲の環境や情報を把握(掌握)しようと欲する、という認識から出発する。歴史的にみると、人々は利己的な欲望をもって熾烈な生存競争を繰り広げてきたが、しかしやがて、貨幣を手にすることで、対抗的憎悪の感情を和らげていく。すなわち、闘争を市場競争に置きかえることによって、人々はそれまでの無秩序な闘争を一つの貨幣システムのなかに包含(隠蔽)していく。

こうして人々は、一つのシステムに組み込まれることに生活の安定性を見出すが、しかし他方では、人間としての「尊厳」や「卓越性」を失ってしまう。マルクスであればここで、人間の尊厳を回復するために貨幣経済を廃止すべきだ、と主張するであろう。しかしレヴィナスは、素朴な人間の出発点にある「内存在性の利害」を超脱するという方向を模索する。それは、自己の利害を超脱して、弱き他者に施すという、慈悲・慈愛の実践である。

人は弱き他者を前にして、パンを施すことができる。同様の倫理観から、人は同じシステムのなかに暮らしている匿名性の高い他者(異邦人)に対して、パンや貨幣を施すことができる。レヴィナスによれば、ここで貨幣の施しという正義は、私たちが一つの全体社会を意識しながら、同時に、他者に接近するためのすぐれた方法であるという。人類はすでに貨幣によって広範な関係を取り結んでいるのであり、その関係性の認識から、他者に対する経済的正義が生まれるというわけだ。

 おそらく貨幣に対するレヴィナスの核心的主張は、「人間は異邦人に施しを与える場合にも、また新しい取引関係を結ぶ際にも、自分の殻を破って他者との社会的依存関係を築くのである」、とみなす点にあるだろう。取引も贈与も、新たな関係を取り結ぶことへの冒険である。なるほど貨幣は、一方では魔力的な支配欲(マモン)と結びつくが、他方では他者との倫理的関係を築くための手段ともなる。この両義性のなかで貨幣の役割を見据えようというのが、レヴィナスの哲学に他ならない。市場経済の倫理的基礎を示すものとして、本書の洞察には光るものがある。

 

橋本努(北海道大助教授)